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東京高等裁判所 昭和43年(行コ)44号 判決 1970年4月27日

控訴人

鹿児島食糧事務所長

河村健治

指定代理人

横山茂晴

外四名

被控訴人

栗山義則

代理人

佐藤義弥

東城守一

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一被控訴人が一般職の国家公務員であつて農林技官としてその主張の輝北出張所に勤務していたところ、昭和三九年二月一四日その主張の公訴事実罪名及び罰条のもとに鹿児島地方裁判所鹿屋支部に公訴を提起されたこと、及び、被控訴人の任命権者である控訴人が同年三月一日被控訴人に対し、国公法七九条二号に則り、右起訴を理由に本件起訴休職処分をしたことは当事者間に争いがない。

二国公法七九条二号が、職員が刑事事件に関し起訴された時は、その意に反してこれを休職(以下単に起訴休職ともいう)することができると定めるのは、次の理由によるのである。

すなわち、国家公務員は全体の奉仕者であつて一部の奉仕者ではないのであるから(憲法一五条二項参照)、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、かつ、その職務の遂行に当つては、全力を挙げてこれに専念すべきことを服務の根本基準とするものであつて(国公法九六条一項)、その勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職責遂行のために用い、政府がなすべき責を有する職務にのみ従事すべく(同法一〇一条一項)、また、その官職の信用を傷つけ、又は、官職全体の不名誉となるような行為をしてはならない(同法九九条)ものである。

ところで、職員が刑事事件に関し起訴された場合には、抽象的一般的には、公訴の提起は検察官からそのような嫌疑を受けたに止まり、有罪無罪いずれの裁判を受けるかは未だ定かでなく、いわゆる無罪の推定を受けているとはいうものの、起訴された被告人の大多数が有罪判決を受けている我国の刑事裁判の現状に鑑みれば、現実には起訴された職員は、起訴状記載の公訴事実、罪名及び罰条によつて特定され具体化された事実について相当程度客観性のある公の嫌疑を受けているものと言わざるを得ない。従つて、職員が右のような嫌疑を受けたままで引続き職務を執るときは、職場における規律ないし秩序の維持に影響するところがあるのみならず、その職務遂行に対する国民の信頼をゆるがせ、ひいて官職の信用を失墜する虞なしとしないのである。さらに、刑事被告人は原則として公判期日に出頭すべきものであるから、そのため、職員の前記職務専念義務に支障を生ずる可能性のあることも看過できないところである。

このように、職員が刑事事件に関し起訴されることは、同人の服務につき法の要請と相反する事態を生ずる可能性を包蔵するが故に、国公法七九条二号は、起訴されたことによつて前述のような影響ないし支障を生ずることあるべき職員をして、職員たる身分はなお保持せしめるものの、職務には従事せしめないこととして、以て官職の信用を保持し、かつ、職場秩序を維持せんとするのである。

三ところで、国家公務員には、国家の政策の策定に当る高度かつ政治的な職務を担当する者から、単純機械的な労務に服するに止まる者まで種々の階層があるから、その保持する官職は、当然職員の地位と職種によつて異なるのは当然である。一方、一概に刑事事件に関し起訴されるといつても、その内容は単なる形式犯から、破廉恥罪まで多岐にわたり、また、起訴の態様も身柄拘束のままの場合もあれば、然らずして在宅の場合もあつて、決して一様ではないのである。

これらのことを考えると、職員が刑事事件に関し起訴されたことによつて、官職の信用が傷つけられるかどうか、職場の秩序が紊れるかどうか、また両人の職務専念義務の履行に支障を生ずるかどうかは、当該職員の保持する官職、すなわち、その地位と担当する職務の内容、公訴事実の具体的内容及び起訴の態用をかれこれ勘案してはじめて決せられるものというべく、従つて、前記の法の要請に応ずるために当該職員をその意に反して休職すべきか否かは、具体的事案に即して個別に決せらるべきものと言わなければならない。国公法七九条が、起訴休職処分を任命権者の裁量に属すると定める所以は、ここにあるのである。

ところで、起訴休職された職員は、国公法八〇条四項及び一般職の職員の給与に関する法律二三条四項によつて、休職の時間中、俸給及び扶養手当の各百分の六〇以内を給せられるに止まることになる。一般に休職された職員は、職務を執らないのであるからその間給与を得られないのが原則ともいえるところ(国公法八〇条四項参照)、右給与法二三条はこれに広汎な例外をもうけるものであるが、そこにおいて起訴休職者に対する給与上の取扱が、右二三条一項ないし三項及び五項所定の事由による休職者の場合に比し最も不利益であることは、法の起訴休職に対する厳格な評価を示すものというべきである。従つて、起訴休職がこれを受ける者の給与上に不利益を生ずるものであることは、前段所述の判断をするに当り、当然考慮さるべきところと言わねばならない(控訴人は、休職中の職員といえども国公法所定の手続を経て私企業からの隔離を免れる途があるのであるから、右給与の減少はさして重要規するにあたらない旨主張するけれども、右は単なる法律上の可能性にすぎず、すべての休職者が右の方途によつて給与の不足分を補填し得るものでないことはみやすい道埋であるから、右主張は失当である)。

従つて、任命権者が刑事事件に関し起訴された職員を休職にするかどうかは、叙上の点について考慮をしたうえで、個別的具体的な判断を経て決せらるべきものであることは、起訴休職制度そのものの要請するところというべきである。

被控訴人は、右判断にあたり、当該職員に対し、公訴事実に基づいてなされ、または、なされることあるべき懲戒処分の種類、態様と起訴休職処分の効果との均衡も考慮さるべきであると主張するが、分限上の処分である起訴休職の効果を、これと制度の趣旨、目的を異にする懲戒処分の種類、態様と比較考量することは当を得たものとは言い難いから、右主張は採るを得ない。

四ところで、控訴人は、起訴休職につき法の定めるところは職員が刑事事件に関し起訴されたことだけであるから、この要件の存する限り、当該職員を休職するかどうかは、任命権者の自由裁量に属する旨を強調する。

しかし、行訴法三〇条によつても明らかなとおり、自由裁量の処分といえども、裁量権を踰越し、又は、その濫用にわたる場合には違法となるのであるから、仮りに起訴休職処分が自由裁量の処分であるとしても、その適否はそれが許された裁量の範囲内に在るか否かによつて決せられるものである。そうして、具体的な起訴休職処分が右の範囲内に在るかどうかは前、項に詳述した点について、裁判所が裁判を尽してはじめて定まるのであるから、起訴休職処分の適否が問題となつている本件においては、前項に述べた以上に、その性質が自由裁量の処分であるか否かをせんさくすることは特に意味のあることではない。

一そこで、本件起訴休職処分について判断をする。

(一)  被控訴人がその主張の輝北出張所に勤務する農林技官たる一般職の国家公務員であつて、当時農産物検査官の職に在つたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠>を総合すると、被控訴人のような農産物検査官が担当する職務の法制上の根拠は多岐にわたるが、その主たるものは農産物検査法による米麦、特に米の検査であつて、特にその品位(等級)の格付決定が検査の中心をなすものであること、右格付決定は、予め定められた基準(農林省告示である農産物規格規程)を具体的な被検査物件たる米にあてはめることによつて行なわれるが、その実際は、主として検査官が視覚、触覚等によつて右米について得る感覚を、同人の過去の経験と日常の修練により得たところに照して判断することによつてなされるものであること、検査は制約された時間内に多量の物件について行なわれるため一件当りの所要時間は三〇秒ないし五分であるが、検査場には右基準を具体的に示し、対照の用に供するために、予め選定された全国統一の標準品が備えられ、かつ、検査は公開して行なわれるので、検査の結果に対する関係者の疑義に対しては、検査官から右標準品を示して対照することその他の方法により説明が加えられること、検査の結果について不服がある者は、農産物検査法一九条によつて食料事務所長に対し再検査の申立が出来ることになつているが、これまでその例がないこと、及び、検査の結果について部内で、爾後において随時実態調査が行なわれているが、その結果是正を要する事例は殆どないことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定の事案によれば、被控訴人が農産物検査官として担当する職務は、専門技術的な判断を中心とするものであり、しかも、右判断の結果に対する関係者の信頼は、検査官の有する技術にかかるのであつて、検査官の信条のいかんによつて影響される余地は殆どないものというべきである。なお、<証拠>によれば、農産物検査官は前記検査のほか、農作物の品質改良等の助言指導を通して関係農民と接触することがあることが認められるが、右が検査官の本来の職務ではなく、事実上のものにすぎないことは右証言によつても明らかであるから、右の事実は、右認定に特段の影響を及ぼすものではない。

(二)  被控訴人に対する起訴状記載の公訴事実、罪名及び罰条が、被控訴人主張のとおりであることは当事者間に争いがない。

右によれば、要するに被控訴人は当時輝北町労働組合連絡協議会議長であつたところ、昭和三八年一一月二一日施行の衆議院議員選挙に立候補した日本社会党所属の候補者に当選を得させる目的で、選挙運動期間中の同月一四日右協議会書記長後藤谷男に法定外選挙運動文書であるパンフレツト四〇枚を一括配布頒布し、政治的目的を以て人事院規則に定める政治的行為をした、というのであるから、被控訴人は一政党のため違法な選挙運動をして職員としての義務に違反し、かつ、その政治的中立性を侵したものとされているのである。しかし、被控訴人の右所為は、前記協議会議長として同会書記長に対し文書を配布頒布したという右の組織内部における、その組織の一員としてのものであるのみならず、その回数も一回に止まるから、公選法違反の罪としては重大なものではなく、またそれが政治的行為として職員の政治的中立性を侵す程度もそれ程甚だしいものとはいえない。このことは、昭和四一年四月二三日検察官についてなされた求刑が罰金一万円であつたこと(この事実は当事者間に争いがない)によつても看取することができる。

(二) ところで、被控訴人が農産物検査官として担当する職務が右(一)認定のとおり専門技術的なものであるから、その保持する官職は非政治的なものであること、及び、弁論の全趣旨によつて明らかな被控訴人が当時管理ないし監督的地位になかつたことを考えると、被控訴人が前記のような罪を犯したとして起訴されたことが、同人の職務の遂行に対する関係者の信頼を傷つけ、かつ、職場の秩序を紊るものであつて、官職の信頼を保持し、職場秩序を維持するために、同人を休職にすることが必要であるとは、直ちには断じ難いといわなければならない。しかも、<証拠>によると、昭和四二年の衆議衆議員及び昭和四三年の参議院議員の各選挙において、公選法違反の罪に問われ、罰金の確定判決を受けた農林事務官ないし農林技官に対し各任命権者がした懲戒処分は、公選法違反の態様が買収、戸別訪問、文書配布頒布等軽重の差があるにかかわらず、いずれも戒告であることが認められる。右事実によれば、被控訴人に対する前示起訴事実に基づき懲戒処分がなされたとしても、おそらく戒告以上には出なかつたものと推認されるのであるが、任命権者によつてその程度に評価されるに止まるものと認むべき前記起訴事実が、果して被控訴人を休職とするに値するかどうかは、甚だ疑問の存するところといわなければならない。

さらに、<証拠>によれば、被控訴人は在宅のまま起訴されたのであり、しかも起訴状記載の前示罰条所定の法定刑よりして、同人が全公判期日に出頭すべき義務を負うものでないことは明らかであるから、同人に対する起訴は、特段の事情のない限り、その職務専念義務の履行に直ちに支障を生ずるものとはいえないし、本件において右特段の事情の存在を認めるに足る証拠はないのであるから、この点においては、被控訴人を休職にする必要性は乏しいというべきである。

(四)  被控訴人の任命権者である控訴人が前記の如く起訴された被控訴人に対し休職処分をするにあたつては、叙上の点を考慮し、必要性を肯定したうえでこれをなすべきものであるところ、本件においては右考慮をなしたことについては特段の主張立証がない。かえつて<証拠>及び弁論の全趣旨によれば、控訴人は被控訴人主張の農林事務次官通達に則つて本件起訴休職処分に及んだものであることが明らかである。

ところで、右通達の内容が被控訴人主張のとおりであることは当事者間に争いがなく、右によれば、農林省においては、職員が刑事事件に関し起訴された場合は、略式手続による場合を除いて、すべて休職とするというのであるが、本件においては、農林省において、起訴休職を右のように一律に取扱わなければならない特段の事由をうかがうに足る証拠は何ら存しないのみならず、右のような一律的取扱(<証拠>によれば、現にこのような取扱がなされていることがうかがわれる。)が起訴休職制度の趣旨目的に副わないことは、既に述べたところから明らかである。元来通達は、行政官庁が所管の諸機関及び職員に対して、行政の取扱の基準を示し、法令の解釈を統一する等の目的で発するものにすぎないから、控訴人において前記通達に従つた一事によつて本件起訴休職処分が適法となるものでないことはいうまでもないのみならず、右通達の示す国公法の解釈及び起訴休職取扱の基準が相当といえないことは右に述べたとおりであるから、控訴人が右通達のみに則つて右処分に出でたことは、右処分にあたり、本来任命権者としてなすべき叙上の考慮をなさなかつたものと断ぜざるを得ない。

(五) 従つて、被控訴人に対する前記起訴を理由として、同人を休職にする必要があるかどうかは、叙上のとおり被控訴人の地位、担当職務の内容、起訴事実の内容及び起訴の態様等の諸点について個別的具体的に判断のうえ決せらるべきであるにも拘らず、控訴人においては、これらを一切顧慮することなく、本件起訴休職処分に及んだのであつて、畢竟右処分は任命権者たる控訴人に与えられた裁量の範囲を越えるものというべく違法たるを免れない。

六被控訴人が昭和四一年六月一八日前記裁判所において無罪判決の言渡を受け、右判決が当時確定したことは当事者間に争いがないから、国公法八〇条二項、三項により本件起訴休職処分はその頃当然に終了したものである。しかし、右処分が前述のとおり違法である以上、被控訴人は当然右休職期間中の前述の給与上の不利益の回復を求め得べく、そのためにはまづもつて右処分を取消すことが必要であるから、被控訴人は本件起訴休職処分の終了にかかわらず、なおこれが取消を求める利益を有するものである。

七してみれば、本件起訴休職処分の取消を求める被控訴人の請求は理由があるから、これを認容した原判決は相当であつて、本件控訴は理由ない。

よつて、本件控訴を棄却すべく、なお、控訴費用は敗訴の控訴人の負担として、主文のとおり判決する。(岡部行男 川上泉 大石忠生)

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